アパルトヘイト【文化】
日本でも大盛り上がりだったラグビーが
南アフリカの優勝で幕を閉じ
表彰式で
イングランドの選手が銀メダル拒否があったりと一筋縄ではいかなかったなぁと思いつつ
まぁ日本としても世界的にも
いい大会だったんじゃないかと
んで
南アフリカといえばまず思い出すのは
アパルトヘイト
今日はこれについて知識を少しいれていこうかと
差別ではなく分類だ
という方針の隔離政策で
全体選挙をすると黒人の比率的に黒人寄りの選挙結果になる事を許さない白人が
黒人の選挙への参加を制限する政策を始めたことによって広がり
住む場所はもちろん
道路以外全ての
公共施設・公共の乗り物・飲食店などで
生活圏を分断され
白人・黒人の一切の接触を禁じる
スポーツなどで
白人と黒人が対戦することなども
もちろん禁止である
当然なのだが
黒人の方が圧倒的に多い
7割の黒人に対して白人が2割
他が1割くらいの比率である
にも関わらず
明らかな白人優遇政策となる
説明してたらキリがないほど
想像出来る全てのことは白人有利に設定され
白人は黒人の数十倍ほどの給料で仕事をし
白人が経営し
黒人がその下で働く
黒人は白人社会の労働力としかみなされていなかった
もはや奴隷と何が違うのか
1991年に撤廃されたものの
撤廃されたからといって
今まで明らかな階級差があった
黒人と白人がすぐに馴染むわけがない
ここから3年間
混沌とし体制以降期を経て
1994年にやっと
全人種が参加する選挙
が行われ
ネルソン・マンデラ
南アフリカの父
反アパルトヘイト運動で先頭にたつも
運動の影響で27年の投獄生活を余儀なくさる
ノーベル平和賞を始め
数々の賞歴をもつ
が大統領に当選したことをもって
一応の決着をみる
でも散々やってきたが
悪政や国内情勢の悪化についてまわるのが
その区間の教育がすっぽり抜け落ちてしまうことであり
教育の問題は
その時期に学生となるべきだった子供の
言葉、文字、人間性を奪う
これは
悪政が終了したとしても
必ずすぐに解決はしない
それにより
アパルトヘイトが終わったあとも
黒人は収入の安定した職につけず
貧困からくる
暴動や問題がしばらくは後をたたなくなる
こんな悪政を
1994年までやっていたというのだから
本当に驚くしかない
イングランドのメダル拒否を聞いて
まずアパルトヘイトの事を思ってしまった
もちろん試合に負けて
悔しかっただけだが
少しよぎる感情はあった
当然当時南アフリカに影響力がある
アパルトヘイトの白人とは
ヨーロッパの人間であり
イギリス人はその中枢である
書く前は全く気づいてなかったのだが
ここまできて
ふと
とイギリスで圧倒的人気を誇るラグビーにおいてなぜ南アフリカが強いのか
初めて理由がみえてきて不思議な気持ちになった
ニュージーランドもオーストラリアも
イギリスの植民地である
歴史はときにゾッとするほど凄い
南アフリカの優勝は
この様な歴史を経て成し遂げられたものであり
今は当たり前となったこの光景も
少し前までは
全く当たり前ではなかった事がわかる
スポーツを通じて知った国の歴史に
少しでも興味を持ち
それを学ぶこともまた
スポーツの醍醐味ではないかと思う
次はどこの国の歴史を
調べることになるだろうか
では