5/28 #123 誹謗中傷と言論の自由
誹謗中傷問題は難しい
例えば『殺す』といえば
前後関係はあるだろうが脅迫になるだろう
では
『死ね』と言った場合はどうなのだろう
法的にどうかはわからないが客観的に見ても不快になり、当事者は誹謗であると受けとるだろう
『消えろ』『ウザい』『辞めろ』
みたいなのはどうだろう
この段階だと客観的に見ても言い方キツいなと思い
誹謗と感じるものの
法的にとかそこまではといったようなラインの認識である
例えば映画を見て
『〇〇を見た!期待してたけど全く面白くなかった。主演の××が全く役にあってないし演技も下手でかえて欲しい。』
このくらいの文面だと
Twitter等ではいくらでも散見できるだろうし
誹謗中傷の度合いは低めだろう
しかし
これも当事者が見れば当然いい気はしないだろうし
件数が多ければ落ち込むだろう
じゃあやっぱり人が傷つく事は書かないべきかと言われると
それはまた極論で
誹謗中傷と言論の自由は表裏で
言論の自由は民主主義の根幹である
例えば昨日書いた検察庁法改正案の話題も
噛み付く人が多いお陰で話題になり
内閣はこの法案を見送ることとなった
これがみんな静かに聞いていたら
すんなり通ってても何もおかしくない
言論の自由は権力への重要な抑止力の側面もある
正直SNSに関して
傷つくなら見なければいいと
バッサリ切り捨てる人もいて冷たいと言われたりもするが
今回の件でも思うが
これが1番の正解ではないかとわたしは思ってしまう
注目され多くの視線に晒されることで
耐性ができ多少の誹謗中傷では揺るがなくなるものだと思うが
22歳という若さの少女に
現段階でそれを求めるのはとても難しかった
コロナ禍という事もあり
普段より人との距離感が遠いことも
この悲劇に一役買っていたのかもしれない
まだ何も始まっていないこの若さでのことに
ご冥福をお祈りします
なんかすごく違和感があったのは
色々なコメントをして
『酷い!わたしも抵抗していきます!』
など身の上話を語り出す人が多数出現してた中
フジテレビやNetflixへ批判的な意見を言う人が多くない事にびっくりした
素人がつくってるわけじゃないから
そのシーンを放送すればどの程度の視聴率があって、どの程度反響があるか
絶対に分かっているのに
22歳の若い子が耐えれない量の批判が来るの絶対わかっていたのに
それを放送し、さらに助長した罪は
極めて重いとわたしは思う
今日くらいになって
しばらく放送中止なのかそんな報道を見たが
結局フジテレビやNetflixからシーンにおける言い分や状況説明はなされていないように思う
全て説明する責任は十分にあると思うのだが
ドス黒さを感じる
放送中止とかではなく
放送終了もしっかり視野にいれていただきたい
とはいえ
もちろん誹謗中傷してる輩が1番悪いのは議論の余地もなく
人の命を奪った事実をしっかり受け止め
罪を償ってもらう必要があるだろう
ネットだから顔が見えないから酷いことを言う
という批判をよく目にするが
昨今はそれより
正しいことなら何をしても言っても許されるというような雰囲気をすごく感じる
正しいことというのは
とても多角的で同じものを逆から見たらそれは容易に正しい事では無くなってしまうものである
自分の正しいという勝手な感性で人を攻撃してはいけない
発言の自由を規制するより
発言への制裁の難易度を下げることでも
十分に思いやりのない発言をする人の抑止力になると思うので
全てを規制するような改善ではなく
防御手段の強化のような方向性での
改善を強く望む
では